高松堂日誌

日常や創作やおふねについての雑記帳

歴史創作

「『サランボー』を書いていた時期の書簡のなかで、フローベールはこんなことをしきりに気にしている。「「それが〈歴史〉だということくらい、よく知っているけれども、小説も学術書と同じくらいやっかいで……」と言いつつ、「情けないほどアカデミックな文体で」書いているような気もすると言い、さらには「(それに)うるさくつきまとってくるのは、(その)物語の心理的側面であり」、そこで問題になっているのが「人々がふつうそんな言葉遣いのなかでは考えもしないことを提示すること」だとすればなおさらだと言っている。時代考証に関しては「ある単語、あるいはある観念について調べていくうちに、支離滅裂な妄想にふけり、きりのない夢想にはまりこんでしまう」が、この問題は真実性の問題と切り離せない。「考古学だって、しょせんはおそらく・・・・の域を出ない。つまりはそういうことだ。私がとんでもなく見当ちがいなことを言っていることが証明されないかぎり、それでいいのだ」と」

ローラン・ビネ『HHhH』